3.11東日本大震災とレーシックで安心を買った話

震災で路頭に迷う
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いまから9年前、2011年3月11日のことでした。

昨日のことのように思い出せる人もいれば、
記憶の隅っこにしまい込んでいる人もいるでしょう。

東日本大震災が起きたその年に、
私は一つの記事を書いたことを思い出しました。

それは震災とレーシックについて書いた記事です。

その記事を掲載したウェブサイトは、もう存在しません。
ですが、記事の内容は残っています。

ずいぶん久しぶりに読み返してみました。

私はレーシックで、安心を買ったのです。


(2011年3月21日の記事)

大震災の恐怖とレーシックの関係

3月11日のことです。
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が起きました。

被災者の方は大変なご苦労を強いられていると思います。
本当に痛ましい出来事です。

被災者の中には、近視のためにメガネや
コンタクトをしていた人がたくさんいると思います。

メガネが割れて使い物にならなくなった人もいるでしょう。

何とか必死にコンタクトだけを持ち出せたとしても
避難所では水が不足しており、1滴が命です。
衛生状態も最悪です。

そんな環境ではまともにコンタクトを
つけることはできません。

 

日本中を震撼させた大地震ですが、
たまたま被災しなかった方も、
決して他人事ではありません。

今回は昼間に起こった地震ですが、
ちょっと想像してみてください。

もし、夜中にぐっすりと眠っているとき
不意打ちのように大地震が襲ってきた場合、

近視で暗闇の中でなにも見えない状態で
いったいどう逃げたらいいのか、
不安で心配にはなりませんか?

想像するだけでも恐ろしいことだと思います。

 

日本には何千人もの命を奪う大地震が
周期的に起こっています。

東海地震、東南海地震、南海地震などがそうです。

だいたい100年~150年周期で起きています。

そして今後30年以内に発生する確率は、
東海地震でいえば『87%』といわれています。

確実に起こるんです。

寝ている時に、東日本大震災や阪神大震災のとき
のような大地震がきたら、家族どころか
自分の身すら守れないことになりかねません。

地震は突如やってくるので
コンタクトやメガネを探しているヒマはありません。

目が悪い人は、特に近視が強い人ほど
暗闇の中では極めて見づらいものです。

さらにパニック状態のときには、
見えない上に、どんな行動をとったらいいか、
とっさの判断すらできないかもしれません。

そして逃げるのが一歩も二歩も遅れてしまい、
大地震に飲み込まれてしまうということが
現実に起こっています。

 

それは今回の地震の映像などを見ても分かります。

地震が起こってから数分間を、たまたまビデオで
とっていた人の映像を見たのですが、

予想外の恐ろしい地震が起こったとき、すぐに何かの
行動ができている人はほとんどいないです。

慌てふためいたり、
その場でしゃがみ込んだり、
近くのものに掴まって自分を安定させるだけでも
精一杯です。

 

また、テレビでこんな場面をみたことがあります。

地震が起こった瞬間の放送局にいる人たち
を映した映像です。

突如大きな揺れに襲われる。

一瞬何が起こったか分からない。

0.5~1秒後くらいに周りの人が
真っ青になった顔を見合わす。

揺れが一気に大きくなって
天井からつるされた「NHK○○室」と書いてある
看板が大きく暴れ出す。

キャビネットがガタガタ倒れ出し、書類が飛び散る。

そこにいる人たちは、キャビネットを押さえるか、
机にしがみついて、自分の態勢を保つことで精一杯。

ただただ、揺れがおさまるのを待つしかない。

 

こんなとき、人間は為す術がありません。

これは、とっさの行動なんて取れっこないということを
よく示していると思います。

そして昼間ですら、この有様です。

夜だったらどうなるか、本当に恐ろしいです

(事実、阪神・淡路大震災は真冬のまだ
暗い明け方5時46分に発生しました。)

 

じゃあどうればいいのか。

私たちにできることは、事前の準備を
することだけです。

コトが起こってからでは遅すぎるので、
事前の準備が極めて大切です。

そうはいっても、地震が怖いからといって、
メガネをかけながら眠るわけにはいきません。

コンタクトレンズをつけたまま眠るわけにもいきません。

こんなとき、もしレーシックを受けて
視力さえ取り戻していたら、
いざというときの行動力が
まったく違うものになるでしょう。

 

いまこの記事を書いている私も
レーシックを受けています。

レーシックを受けようと思った理由の1つは、
このような大震災に備えるためにです。

1995年の阪神・淡路大震災の恐怖を経験してから、
近視は命にかかわる「病気」だと心底、痛感しました。

1996年になって錦糸眼科がレーシックを
日本で初めて実施したといわれています。

当時、確か両目で100万円くらいしたと思います。

近視が手術で治るというニュースを
はじめて耳にしたとき、

「本当に手術で近視が治るのか?」

と信じられませんでした。

と同時に、

「それが本当なら100万円でも絶対に受けたい。
何が何でもお金を貯めよう」

そう強く思いました。

そして数年前、両目で40万円の手術を受けました。

 

手術の翌朝、目が覚めたときに天井が
ハッキリ見えました。

でも、それほど感動はしませんでした。

なぜかというと、いままでのコンタクトレンズの
見え方と同じだったからだと思います。

(普段メガネをかけている人は、かなり感動するみたいです)

 

感動はその日の夜にやってきました。

いつものクセで、ついコンタクトレンズを外そうと
目に指を入れそうになりました。

「ああもう外さなくていいんだ」と心の中でつぶやいて
灯りを消してベッドにもぐりり込みました。

するとどうでしょう。

見えるんです。

暗闇に目が慣れてきたころ、
かすかな灯りだけを頼りにしても
部屋の輪郭やカーテンの様子が
ハッキリ分かりました。

 

いままではコンタクトレンズを外して消灯すると、
夜は本当の真っ暗闇でした。

それが夜でも視力がしっかりあるので
暗くても周りの様子が見えるのです。
いままでと比べものになりません。

「こんなにも違うのか!」と思わず絶叫です。

 

闇の中でどれだけ見えていなかったのか、
レーシックを受けてはじめて実感しました。

最初は信じられませんでした。

何度も何度も、目を閉じてはまた暗闇の中で目を開けて、
自分の疑いを晴らしていきました。

「夜にこんなにも見えるのか、
いままで本当に暗闇の中にいたんだな」

つくづくそう思いました。

見えるということは、すごいことです。

 

今ではレーシックにかかる費用は格段に安くなり、
誰でも受けやすくなっています。

私はいま『有事』のこと、この一点だけのことを考えても
レーシックを受ける価値はあるよと、
家族や友人に伝えています。

私の経験から1つ言えることは
私と私の家族を守らなければならない、
いざというとき段違いの差が出るということです。

本当にそう感じます。

安心感がまったく違います。

これがレーシックを受けようと思った理由であると同時に、
レーシックを受けて本当に良かったと思う理由の1つです。

 

あなたの目のことは、あなたが決めないといけません。

あなたはレーシックを受けるかどうか、
迷っているかもしれません。

大震災を目の当たりにして
何かを感じたかもしれません。

身に迫る危機感を感じたかもしれないし
それはあなたの胸に聞けば分かると思います。

レーシックをどうするか、
受けるとしたらいつがいいのか、
今回の震災は、あなたにとってそれらを真剣に
考えはじめるいい機会になるかもしれません。

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